スレと関係ない話しないでや
7: ス:20/09/03(木)16:00:57 ID:76e主 ×
ぼかあが作ったvikiがあるからそれ読め
政府による市場への介入を忌避する自由放任(レッセフェール)を唱える。一部の公共財を除く公営事業の徹底的な民営化を支持し、とくに教育機関に対するバウチャー券制度の導入を訴えている。
日本の労働市場に関してもリバタリアン的見地から指摘を行っている。解雇規制を緩和して労働市場を流動化させることによって、正規雇用が増加し、ブラック企業が淘汰されるとしている。
TPPは自由貿易推進の立場から支持している。その一方で、日本農業の法人を主体とした生産性の向上を重要課題として挙げている。
敬愛している経済学者はミルトン・フリードマンである。彼の著書「資本主義と自由」を愛読書としている。
その一方で、経済学における主流派として名高いケインズ学派に対しては否定的な見解を崩していない。大きな政府は無駄を増大させるだけだと主張している(後に態度を軟化させている)。
リバタリアニズムを信奉するぼかあとしては反対やで
19: 名無しさん@おーぷん:20/09/03(木)16:03:43 ID:r3u ×
もう少し詳しく
リバタリアニズムは自由な国家主義を信奉しとるから、大きな政府は諸個人の経済活動の足枷になると考えてるんや
例えばやけどインフレになるまでMMTで金をばらまく政策とかは?
一時的なMMTならアリ?
国際銀行とかどうや?
銀行関連だとインドが熱いで
銀行関連って今落ち目やないんか?
31: ス:20/09/03(木)16:08:55 ID:76e主 ×
銀行はマクロにみれば落ち目じゃないで
一時的なコロナ不況で落ちぶれてるだけや
はえー
参考にするで
ぼかあのvikiを読んでほしいんや
行動経済はマーケティングとして意味あると思うけどあれ心理学やしな
29: ス:20/09/03(木)16:08:22 ID:76e主 ×
ぼかあ的には国の政治や経済を知るとそれだけで楽しいんや
政府が関与しない自由経済を望む思想の人たちからして
ワイのような初学者が
ケインズのマクロ経済学を学ぼうとすることには否定的なものなんか?
どこまで学べばええんか?
ワイは弱者やから国家主義とるわ
アベノミクスはリバタリアニズムと親和性は高いんやが長期持続を掲げ続けたのが失敗の原因や
最初の数年で止めておけばよかった
38: 名無しさん@おーぷん:20/09/03(木)16:15:10 ID:r3u ×
推測で構わないのだが
なぜ安倍はアベノミクスを続けてしまったのだろうか
安倍に能力がなかったのと最初の数年だけ成功してしまったからや
最初の数年だけだったら民主党政権時代の反動とも言えなくはないのか?
アベノミクスとしての効果があったのだろうか
また安倍が無能であればなぜ長期政権になり得たのか
アベノミクスの総評をお願いします
古典派は基本的に「政府は介入しないで、市場に任せたほうがのびるやで(小さな政府)」なんやが、アベノミクスは「市場にバンバン介入して金回すやで(大きな政府)」や
ワイの学派とは相容れないが、ワイ自身は大小の政府を使い分けるのが大切やと思ってるから、最低限の成果は出したと思う
日銀の異次元の金融政策についてやが、あれは全然異次元じゃなくて普通のこと
36: 名無しさん@おーぷん:20/09/03(木)16:14:07 ID:dbE ×
反対やで
大きな政府には全面的に反対や
お前は強者か?
ならばリバタリアニズム的には社会保障制度をどう変えるべきだろうか
簡単に言うと何?
45: ス:20/09/03(木)16:17:57 ID:76e主 ×
>>44
ぼかあのviki引用
リバタリアンが理想とする国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、最小限の公共財と福祉サービスの提供に役割は制限される。
国家規模と法規制の範囲は出来る限り縮小されることが望ましく、一元的なイデオロギーによって国民の思想が強制的に統合されることを忌避する。
しかしその一方で、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する政治哲学であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。自らの意思が反映されたものであれば、人々がもつ愛国心や郷土愛を否定することも無い。
そして、家族や職能集団をはじめとした共同体が、人々が幸福に生きる上でかけがえのない重要性があることを認め、諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。
しかし、それらの活動は民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。国政はあくまで中立的な立場を堅持するべきであり、特定集団に対する優遇処置は認めない。
また、リバタリアンは政治におけるナショナリズムの採用に否定的な見解を崩さない。よって、「民族自決」や「民族統一」といった主義主張にも反対する。それらのスローガンは、強制を伴う民族に対する忠誠心を促し、国民の自由を脅かす恐れがあると捉えるからである。
民族や歴史や文化からも切り離された無味乾燥なシステムとして、市民社会の維持に必要最小限の機能を満たすことを希求する。それこそがリバタリアンの国家観である。リバタリアンが関心を注ぐのは、国家ではなく諸個人なのである。
永井産業
どう?ワイなりに言ってみた
道州制には賛成?
持ってきて♥